写真のコンセプト

前回は生みの苦しみについて書きましたが、それと矛盾しているようなことを。

写真のよい所は、秒殺で勝負がついてしまう所です。もちろん、人によっては、コンセプトを決め、じっくりと被写体と向き合い、その瞬間を待つために、何時間も粘るかもしれません。ですが自分の場合、練り過ぎると写真にあざとさが生まれ、あまりよくありません。むしろ書のように、精神統一する瞬間の方が大事です。

最近の写真家には、作品のコンセプトを自分の言葉で語ることが求められているようですが、いかにも自己主張が好きな欧米人が言い出しそうなことです。言葉にできないものを絵で表現しているのに、それをわざわざ言葉に直すってどうなんでしょう?

説明がなくても、コンセプトがなくても、いいものはいいで済まないのでしょうか。絵に語らせる力がないばっかりに、言葉を付け加えて誤魔化しているような。その要求に答えるために、日本の写真家は皆んな後からこじつけて説明するようになりそうです。大家の杉本博司さんも、そんなの後から考えりゃいいと言っています(笑)

自分の初個展のコンセプトは「神の存在」と設定したのですが、コンセプトを決めると意識が固定され、かえって写真がつまらなくなったり、のびのびと撮れなくなってしまうことに気づきます。ですが、コンセプトをしっかりと据えた方が、ストーリー性を重視しつつ、安定して作品づくりに取り組めるようになるのも事実でしょう。

ではお前の作品づくりのコンセプトは何だと問われて、強いて答えるならば、「自然の神秘性」とか「日常にある異次元性」という答えが浮かびます。そして全ての大前提として「美しいこと」が上げられると思います。

写真のコンセプト。そんなの要らない、いや、要る。自問自答する毎日です。

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「どしゃ降り」